テナント契約の満了時に、借主と貸主の間で最も争いになりやすいのが原状回復です。「スケルトンに戻す費用として数百万円を請求された」「敷金がほとんど戻ってこなかった」という相談は後を絶ちません。原状回復費用は、退去が決まってから動き出すのでは遅く、契約時と退去の半年前からの準備で大きく変わります。この記事では、原状回復費用の適正な判定方法、複数見積もりの取り方、貸主との交渉の進め方、紛争を避けるための合意書の作り方を、実務の順番で解説します。
原状回復の法的な原則——通常損耗と特別損耗
原状回復とは「借りたときの状態に戻す」ことですが、何をどこまで戻すかは契約と法律の解釈で決まります。基本になるのが、通常損耗と特別損耗の区別です。
| 区分 | 内容 | 負担者の原則 |
|---|---|---|
| 通常損耗 | 日常の使用で自然に生じる床・壁の汚れや擦り傷、日焼け、経年劣化 | 貸主 |
| 特別損耗 | 借主の故意や過失、通常でない使い方による破損・汚損 | 借主 |
| 内装・造作の撤去 | 借主が設置した間仕切り、看板、厨房設備などの撤去 | 借主(特約で定めるのが一般的) |
ただし事業用の契約では、特約で「通常損耗を含めて借主負担」「スケルトン状態で返還」と定めることが有効とされる場合が多く、居住用のように借主が広く守られるわけではありません。つまり、原状回復の範囲は契約書の特約でほぼ決まります。契約書の読み方はテナント退去時の原状回復費用ガイド、費用の相場と負担範囲はテナント退去時の原状回復費用|相場・負担範囲・費用を抑えるための実践的対策で解説しています。
退去の半年前から始める準備
原状回復の交渉は、退去通知を出す前から始まっています。次の順番で準備してください。
- 契約書の特約を読み直す:返還状態(スケルトンか居抜き可か)、指定業者の有無、費用負担の範囲、工事期間中の賃料の扱いを確認します
- 入居時の状態を確認する:入居時に撮った写真や引き渡し時の状態確認書があれば、それが「戻すべき状態」の証拠になります。なければ、当時の図面や工事記録を探します
- 現在の状態を記録する:退去を決めた時点で、店内・共用部との境界・設備を写真と動画で記録します
- 貸主に工事範囲の確認を求める:どこまで撤去し、どこまで補修するのかを、口頭ではなく書面で確認します
複数の見積もりを取る
貸主や管理会社が指定する業者の見積もりだけで判断すると、相場より高い金額を受け入れることになりがちです。可能な限り複数の見積もりを取ってください。
見積もりを取るときのポイント
- 同じ工事範囲で比較する:貸主が示した工事範囲(撤去項目・補修項目)を各業者に渡し、同じ条件で見積もらせます
- 内訳を明細で出してもらう:「原状回復工事一式」ではなく、撤去・処分・内装補修・設備・諸経費に分けた明細を求めます
- 単価と数量を確認する:床の平米数や壁の面積が実際と合っているか、自分で測って照らし合わせます
- 指定業者の見積もりと比較する:契約で貸主指定業者が定められている場合でも、他社の見積もりは「金額の妥当性を示す資料」として交渉に使えます
貸主指定のB工事が絡む場合は費用の構造が異なります。テナント退去時のB工事・原状回復費用で詳しく解説しています。
交渉の余地がある項目
原状回復費用のすべてが交渉できるわけではありませんが、次の項目には余地があります。
- 通常損耗の扱い:特約で借主負担とされていても、経年劣化の部分(クロスの日焼けなど)は減額を求める根拠になります
- 残置の可否:次の借主が同業種で、厨房設備や内装をそのまま使える場合、撤去せず残すことで工事費を減らせます。居抜き譲渡の交渉と合わせて進めてください
- 工事範囲の重複:貸主が次のテナント向けに改装する予定がある部分は、借主が補修してもすぐ壊されます。その部分の補修を免除してもらう交渉は合理的です
- 工事期間中の賃料:契約満了後の工事期間に賃料を請求されることがあります。工事期間を短くするか、賃料免除を求めます
- 敷金・保証金との相殺:敷金から差し引く場合は、明細を出してもらい、根拠のない項目は返還を求めます
費用を最小化する具体策はテナント退去費用の実態と原状回復費用を最小化する実践ガイドにまとめています。
費用分担の合意書を作る
交渉がまとまったら、必ず書面に残します。合意書に含めるべき項目は次のとおりです。
- 工事の範囲(撤去する項目と残す項目を具体的に列挙する)
- 工事を行う業者と工事期間
- 費用の総額と、借主・貸主それぞれの負担額
- 敷金・保証金からの控除額と返還額、返還の期日
- 工事完了後の確認方法(立ち会いの日時、確認書の様式)
- 追加費用が発生した場合の取り扱い
「工事後に追加で請求された」というトラブルは、追加費用の扱いを決めていないことが原因です。追加が生じる場合は事前に借主の承諾を要する、と明記してください。
よくある紛争と回避策
実際に起きやすい紛争の型と、その回避策を整理します。
| 紛争の型 | 原因 | 回避策 |
|---|---|---|
| 入居時の状態をめぐる争い | 入居時の記録がない | 入居時の写真と状態確認書を必ず残す |
| 工事範囲の食い違い | 口頭で確認しただけ | 工事範囲を書面で確認する |
| 見積もりの妥当性 | 指定業者の一社見積もり | 複数見積もりで相場を示す |
| 敷金の返還遅れ | 返還期日が未定 | 合意書に返還期日を明記する |
| 追加請求 | 追加費用の扱いが未定 | 追加は事前承諾を要すると明記する |
実際の解決事例はテナント退店の原状回復トラブル解決事例集、事前準備の全体像はテナント退去時の原状回復トラブルを防ぐで紹介しています。
交渉がまとまらない場合は、弁護士や不動産の専門家に相談するほか、調停や少額訴訟という手段もあります。ただし、争いになる前に記録と書面で固めておくほうが、時間も費用もはるかに少なくて済みます。
まとめ
原状回復費用の交渉は、退去が決まってから始めるのでは遅すぎます。契約時に特約を確認し、入居時の状態を記録し、退去の半年前から工事範囲を書面で確認して複数の見積もりを取る。この準備があれば、通常損耗の減額、残置による撤去費の削減、工事期間中の賃料免除といった交渉が現実的になります。合意した内容は費用分担の合意書として残し、追加費用の扱いまで決めておくことが、紛争を避ける最も確実な方法です。
